わたしも変化が必要

昨年息子の散髪に行こうと思い、本人に行く旨を伝えると、いやだいやだと大騒ぎ。

こちらもゆっくり過ごしたい休日にわーわー言われるのも何だしな〜..などと思い、キッズ専門の美容室に行きました。そこは、もう息子にとって至れり尽くせり。車の形をしたイスがあったり、好きなDVDも流してくれる。泣いている子など一人もいない。最後にはヤクルトまでくれて、なんともご機嫌なひとときとなる。

何回かここを利用したことはあるが、この光景を眺めていて、ふとなんだか「お子さま さまさま」 なんじゃないの??と。


結局ここへ行くとご機嫌でいてくれて、わたし自身も、楽。カットする理容師さんも楽。じっとさせる苦労は要らない。

赤ちゃんは別としても、そろそろ嫌な事や苦になる事が解り始めた我が息子には、あえて耐える訓練も必要なんじゃないかと考えてしまいました。自分が幼い時も確かに理容室に行くのは好きではなかったけれど、そういう小さな我慢の積み重ねを経て人間としての忍耐や理性が備えて来たのではないかと。勿論わたしが育った時代は子供も多かったし、そこまで子供を主体とするビジネスも存在しなかったので自然我慢する機会も多かったと思う。


お正月に伊勢神宮に参拝に行った時も歩き疲れてきた息子は、抱っこしてと泣き叫び出しました。昨今は外で幼児を泣いたまま放っておくと周囲の目が結構気になる。なので、わたしはその方が早く事が進むし、周囲の目もあるし息子を抱こうとすると夫は激しく「放っておけ!出だしするな。すぐに手を出すから甘えた子になるんだ!」と。かなり周りの方は見ていらしたと思うけれど、泣いたまま最後まで歩き通しました。


こうした出来事を経て新年のお休み明けに、子供の目覚しい成長に追いついて行けなくて、あらゆる息子の我儘にどう対処すべきか冷静な判断が出来なくなってるのは私自身なのでは??と考えました。


なんでもやってあげるより、じっと見守る事や忍耐を教える事の方が、親も苦しいし、手間がかかるし面倒。子供が可愛いから、ご機嫌でいさせる。可愛がるんでは、なくて私自身が楽だからではないの??ともう一度自問自答してみることにしました。


私は厳しい親だ。と自負していたけれど、客観的にみたら案外そうでもなかった。


当たり前ですが、成長に合わせて親もどんどん変化が必要なんですね。日々のノルマをこなす事が精一杯でまだまだ考えるべきことは沢山ありました。親も疲れるし、人間だから不精にもなるけれど母親として真に教えるべきことは何かと時々立ち止まって考える事は大切だなと早速軌道修正した2011年最初の反省でした。


時間が掛かるし、汚される〜!と私が避けていたお手伝いもやっぱりさせなきゃね、心改め私の母が畑で作った大根の皮むきにチャレンジしてもらいました。